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4年ぶりのフランス農業祭

フランスではプロフェッショナルのためのチーズサロンが隔年で開催されます。これに合わせて、シャンパーニュとブリ周辺を巡る旅を開催したのが4年前、2020年2月でした。
2020年3月以降はコロナ禍となり、イベントはすべてが中止や延期となってしまいました。
したがって今冬の2024年2月は、4年ぶりのフランス訪問となりました。

■国際農業見本市(農業祭) Salon International de l’Agriculture

毎年2月末から3月初旬にかけて行われる農業見本市。この巨大なイベントがパリで行われているというのは、日本の感覚ではすぐに理解できないかもしれません。メトロ12号線。ポルト・ド・ヴェルサイユ駅近くに建設される会場は東京ドーム10個分!
フランス各地から集められた牛、羊、山羊、豚、ウサギ、鶏、馬、ロバなどたくさんの家畜が一堂に会し、コンクールも開催されます。
さすがに農業大国フランスの奥深さが感じられる国内でも最も人気の高いイベントで、会期中の入場者は数万人を記録し、海外からの来場者も年々増えています。
会場に入ると、日本では見たことがないようないろいろな種類の牛がゾーンごとにいたり、搾りたての乳を使ってシャレ(山小屋)風につくられたブースでチーズ製造の実演があったり、牛好きにはたまりません。
毎年、その年のシンボルとして選ばれたスター牛がいるのも面白い仕掛け。バスやメトロのポスター、入場券、ガイドブックやエコバックにまでその顔が登場するのですから会場ではまるでアイドル扱いです。
今年のスター牛はノルマンディ牛のOREIETTEちゃん5歳!
でも、仲間たちから隔離されてちょっと寂しそうでした。
会場では、プロの料理人のデモンストレーションがあり、フランス各地のブースでは買い物も試食もできて、大人も子供も楽しそう。
コンクールは家畜、チーズやワイン、農作物など約20のカテゴリーで行われます。
私は1997年から毎年ここでチーズコンクールの審査員を務めていますが、いつも勉強させていただいています。

①2024年のスターはノルマンディ牛のOREIETTE 5歳。入場券のモデルにも

②ノルマンディ牛は頭とお腹は白く、目の周りがパンダのように黒か茶色。疲れてぐったり!

③ホルスタイン牛のコンクール

④ぺライユ・ド・カバスを販売するロジーヌ・ドンブルさんと息子。
ドンブルさんと会ったのは1996年のサロン・ド・フロマージュ。
翌年に訪ねたことを思い出します。

⑤山のチーズ製造のデモンストレーションが行われていました

■サロン・デュ・フロマージュ Salon du Fromage

農業祭の一画で隔年開催されているチーズサロンは招待状がないと入れないプロフェッショナル限定の商談エリアです。

このサロンに通うようになったのは、1991年~1995年まで一緒に仕事をしていた湯川廉子さんのおかげ。フェルミエを創業した頃は私も渡仏は1年に1回がやっとでした。
そんな私に「もっと積極的に行動しなさい!」とお尻を叩いてくれたのが彼女だったのです。
今ではチーズ商も生産者もEU各国からやってくるようになりましたが、私が参加し始めた90年代まではフランスの生産者だけで規模は小さく、日本人といえば私たちだけでした。
アットホームな会場には「作り手の見えるチーズ」があり、ここで出会ったチーズを輸入して日本のチーズファンに紹介することにワクワクしました。
この時は4年ぶりに再会したことに杯をあげて、またの再訪を約束!
1995年に始めた生産者を巡る旅は、このサロンでの出会いがあればこそ実現したものです。

●スペインからマンチェゴ・アルテサーノの「フィンカ・ラ・プルデンシアーナに会えました。アルバレス氏から息子にバトンタッチ。

●2019年、第4回モンディアル・デュ・フロマージュで優勝したオランダ代表のEvert SCHONHAGE。2018年2月に案内してもらった農家製ゴーダは忘れられない思い出です。

●2023年9月のブラ祭りで訪ねたジョリートさんに再会!
フロマージュ・ド・ミテスの金剛丸由美さんがご一緒でした。

●マヌエル・マイアさんは1999年、FOODEXにオリーヴオイルとマルメロ(メンブリージョ)で出展。マルメロを輸入販売したことが縁で、2000年にポルトガルのチーズ産地を案内していただきました。
ポルトガルチーズといえばマイアさん。チーズビジネスをすることになったのは私のおかげだと感謝されています!


ポルトガルを代表する羊乳の
ケイジョ・セーラ・ダ・エストレーラ


かりんのペースト「マルメロ」は
チーズとよく合います。

●まるでミュージシャン!
MOFのXavier はいつも陽気で楽しい!

●カゼアリア
シチリアで開催された「チーズアート」で酔っ払いチーズ「ウブリアーコ」に出会い、カゼアリア社を訪問。家族一丸となり創業者の類のないチーズを開発しています。
いつ訪ねても、心づくしの対応に、いつも心地よく酔っぱらってしまいます。
創業者のアントニオは亡くなられてしまいましたが、二代目のアレッサンドロが頑張っています。

アレッサンドロのオリジナル、ブルージンズ、おいしくいただきました。


酔っ払いチーズ カゼアリア

●パカール
パカールのルブロッションに出会ったのはサロンでした。
ジャンフランソワの息子に幻の美しいカビがはいったブルー・テルミニヨンをカットしていただきました。

ジュニパーで香りづけたトム、酔っ払いのトムもおいしくいただきました

●ブラ祭りでもあった、カールハインツ・ベルトルド(左)とロッソ社のエンリコ。
エンリコはアルピニストで山のチーズのプロです。

●クリスチャンの友人、ジョン・カール。
彼は頭の回転が抜群でユーモアもあって頼れる人です。
1990年初頭に立ちあげたチーズ専門季刊誌「アリスティーアス」の英国編(1993年)は彼のアレンジで生産者を訪ねました。

●「CHEESE CHEESE CHEESE」の制作者。

ウィル・スタッドは好奇心旺盛で何事もポジティブ。
メルボルンでチーズショップ「カレンダー」を経営していた頃、オーストラリアでは長期熟成以外の無殺菌乳のチーズの輸入が禁じられており、フランスからのロックフォールが差し止めになって廃棄処分になったことがありました。処分を巡って世界中のチーズ仲間に署名運動をして政府に訴えたのです。もちろん私も日本の署名運動で応援しました!
日本のロケは岡山の吉田牧場、長野の清水牧場、北海道の共働学舎を紹介。一緒に旅をしたことは懐かしい思い出です。

●私のビジネスパートナー、クリスチャン(中央)。
引退しても、みんなから声をかけられて忙しい!

●ピエルッチに出会ったのは1996年のサロン・デュ・フロマージュ。
2002年にコルスを訪ねるツアーを開催。家族みんなで出迎えてくれたことも懐かしい思い出です。


コルシカチーズ

●アラン&ソフィー・ジョソーム

シェーヴルのコンクール「フロマゴラ」が開催されていた頃に出会ったアラン。
1993年はニーム、94年はサント・モール・ド・トゥーレーヌ、95年はカオールで開催。
2005年に彼はオリジナルチーズ、ドーム型の「トピニエール」を開発して大ヒット。2012年にはひとまわり小さい「トピネット」をリリース。
山羊を大事に育てている農場をもう一度訪ねたい。

●ピック
ユニークなシェーヴルが魅力的なピックに出会ったのもサロンでした。
いま、日本には輸入されていませんが、ピック社の取り組みに感動して訪ねたことを思い出します。

●レティヴァのベルナール・ゴダール

2001年にAOCを取得したレティヴァを訪ねたのが7月。9月に牛が下山する「デザルパージュ」のお祭りがあると知り、9月にツアーを企画して訪ねました。
3度目の訪問は2014年。共同の熟成カーヴを建設したベルナール・ゴダールの努力あってこそ、いまも70軒の生産者がいるそうです。

●INAOの会長を務めていたアンドレ・ヴァラディエさんの功績が大きいライオル。
1950年代の終わりころ、年間生産量が25トンにまで落ち込む危機に直面し、1960年に「山の青年協同組合」を設立。郷土料理「アリゴ」をレンジでつくる商品を開発。
今回のサロンははいってすぐのところにあり、熟成別のライオル、簡単にできる料理デモンストレーションもありました。ピエルリッチさんの料理センスのおかげでライオルに魅了された人が多いと思います。
いま、日本人の川本美季さんが働いています。

●シャウルスのトップランナー、ランセ社
フレッシュのブリヤ・サヴァランとデリス・パパイヤが人気。
いつも穏やかなディディエとジュリエットです。

●スヤン
カルフォルニアのアンダンテファームのスヤン・スキャラン。
韓国に生まれ、結婚してカリフォルニアのソノマに住み、シェーヴルを製造。
もともと音楽の素養があり、チーズの名前はフィガロやアンダンテなど、彼女ららしい名前をつけています。ピアノを弾き、料理をつくり、人生を謳歌。
パリ滞在中はアパルトマンを借りて友人を招いて食卓を囲む。クリスチャン、LAQUEUILLEのオリヴィエ、FINE CHEESEのジョン。2人のジャーナリストはベルリンのウルスラと、イタリアとアメリカを行き来するクリスティーナ。この日はウルスラが持ってきてくれたドイツのチーズを楽しみました。ドイツも新しいチーズが増えていることを実感。


スヤンの食卓

●ワインの名城地マコンから北に5km
山羊2000頭を飼うシュヴネ家。二歳にして山羊がペットだったというティエリー。
シャロレは彼の自慢のシェーヴルです。

●ロドルフ・ル・ムニエ
2005年、シラ国際見本市のプラトーコンクールで見事優勝を勝ち取ったロドルフ・ル・ムニエ。その時のテーマが「ショパンとマチス」。
幼い時からチーズの手伝いのかたわらで親しんできたピアノ、絵画、彫刻、文学などそのすべてがチーズを魅力的に表現するための要素だったと言います。
あれから20年近く。彼の活躍は目が離せません。

チーズで巡るロンバルディアの旅Vol.5

隔年で開催されるイタリアのBRA CHEESE祭りはご存じですか。
スローフードのことも知らず、この場を初めて訪ねたのが1997年9月。EU統合に向けて原産地統制呼称のチーズ126種が集合するシンポジウム兼フェスタ「Cheese ’97」に行ったときのことでした。「SLOW FOOD」を知り、多くの出会いがあり、感動の連続でした。
ブラ祭りの楽しさを多くの人と分かち合いたいと、それ以来、隔年でツアーを開催。
2021年はコロナで訪問を断念せざるを得ませんでしたが、2023年に4年ぶりとなった訪問は懐かしい人々と再会し、多くの収穫がありました。
まず、ブラに向かう前に、バルバレスコの南西タナロ川を見下ろす小さな丘にある「カシーナ・ロッカリーニ」を訪問しました。

■カシーナ・ロッカリーニ Cascina Roccalini

現当主のパオロ・ヴェリオの曾祖父が1931年にこの土地を購入したことからワイナリーの歴史は始まりました。標高260m、パオロが目指すのは様々な植物や生き物が共存できる森に囲まれた環境です。21haある敷地の内11haは林とヘーゼルナッツの畑。ブドウ畑は10haありますが、収穫できるのはそのうち5haだけだそうです。隣は牛舎。科学的薬剤は一切使用せず、牛糞を使った土地づくりをしています。
美しい景色を目に焼き付けたあとはセラーを見学。土着の酵母、大きな樽での熟成を取り入れた年間生産量本数は1万本。淡々と語るパオロの姿勢は一切労を惜しまない本物の農民だと言われているのがよく理解できました。予約で完売となる貴重なワインをテースティングさせていただき、テロワールのすばらしさをしっかりと受け止めることができました。


360℃のパノラマ


タナロ川が見下ろせる小さな丘にあるワイナリー


貴重なワインを試飲させていただきました

■チーズショップ「ジョリート Giolito fromaggi」

ブラに着いたら真っ先にジョリートにご挨拶。ピエモンテのチーズを探す旅で親切にしていただいてからのご縁です。まるで博物館のような地下のカーヴはチーズ好きの人は必見です。彼のアイデアで生まれた酔っ払いチーズ「ブラチュック Braciuk」が伊勢丹で開催されたイタリア展で話題をさらったのはもう20年くらい前のことになります。
トリノのEatalyに出展したのを契機に日本のイイタリー(Eataly JAPAN)でもブラチュックは人気に! チーズ部門の責任者をつとめた片岡恵子さんは2019年4月、川場村に誕生した「KAWABA CHEESE」でチーズを製造。日本との縁で来日する機会がさらに増えたジョリートは大忙しですが、今回も私たちを歓待してくれました。
ところで、ブラ祭りの初日に開催されるマラソン「MARATOMA」のスポンサーの一人であるジョリートは、この年も優勝者に体重と同じ重さのチーズを贈るのだと聞きました。日本ではちょっとお目にかかれないユニークなアイデアです。

世界中からチーズ愛好家が集まるGiolito Formaggi
ブラ祭り期間中は試食メニューが人気です


ポスターは甥っ子のマルコと!


マラソン記念のTシャツ


いつも笑顔で迎えてくれるジョリート


狭い店舗にはこだわりのチーズが並びます

地下のカーヴは熟成中のチーズが並びます
左からアルペッジョのカステルマーニョ、こだわりのブラ、三段のモンテボレ

熟成庫に展示している古い道具や牛。センスの良さは真似したくなります

叩いて、パルミジャーノ・レッジャーノの音を聞く

■生産者と会えるのも、ブラ祭りの醍醐味

さて、会場では地元イタリアのチーズメーカー、ロッソ社のエンリコとマリア夫妻と会えました。彼らはアルピニストとしても活躍するたくましい夫婦です。つくるチーズは、伝統のマッカ-ニョはもちろんですが、「グラティン・ブルー」がほんとうにおいしい。しっかりと試食させていただきました。
もう一つのイタリアブースは、マッジョーレ湖の湖畔、アローナに会社を構えて世界にイタリアチーズを発信するグッファンティ社。カルロ・フィオーリさんやFOODEXに来日したジョヴァンニにはお会いできませんでしたが、営業担当のダヴィデと会えました!
フランスはサヴォワからパカール社が出展。いつも人が集まる賑やかなパカールブースですが、ブース代が高くなって今回は販売だけ。ジャンフランソワと弟のベルトランと子供たちも揃って楽しそうに仕事していました。
ポルトガルからはマイアさんと子供たち。2000年4月、ポルトガルの旅をしたことを懐かしく思い出します。
続いてイギリスは、布で巻いたトラディショナルチェダーに出会ったのが2003年。ニールスヤードデイリーの初代店主だったRandolph Hodgson氏に教えていただき、翌年に農家製チェダーの生産者モンゴメリーを訪問。ブラ会場には毎回、作り手で代表のジェイミーがブースに立っていることも感動します。

Caseificio Rosso(ロッソ)のエンリコとマリア。グラティン・ブルーはバランスがよいおいしさですが、また、新しく開発した赤ワインに漬けこんだ酔っ払い「BLU DI VINO」も別のおいしさがあって感動!


熟成にこだわるグッファンティ社の営業担当ダヴィデにも会えました


チームワーク最高、Paccard(パカール)ファミリー


ポルトガルから、TradifoodsのManuel Maia(マヌエル・マイア)ファミリー


プレシディオに登録されるチェダー生産者は3軒のみ。
そのなかからMontgomery’sのジェームスと、Westcombeのジョージの2軒が出展していました

■ベッピーノ・オッチェッリ Beppino Occelli

1994年10月に開催されたアルバのトリュフ祭りで、私の目をくぎ付けにしたオッチェッリのチーズたち。紐がかけられた筒形のクルティンやトゥーマ・ドゥラ・パーヤなど。センスの良さに惹かれ、訪問のアポを取り、翌年GWを利用して訪問。ファリリアーノの本社と標高1,000mにあるヴァルカソットを案内していただきました。
山の水を誘導した熟成庫には山のチーズが静かに眠っていました。このチーズを多くの人に伝えたいという想いが募り、1995年10月にツアーを企画。冬支度の始まったばかりの渓谷をチーズ仲間と再訪しました。
2001年からはブラ祭りに合わせて定期的に訪問。そのたびに村はどんどんと変わり、水車を利用した製粉小屋、カフェ、レストラン、宿泊施設まで整い、世界中からチーズファンが訪れるようになっていきました。
オッチェッリさんはBRA CHEESEの期間中、中庭付きの一軒家を借りて世界中のVIPを招待しています。挨拶だけしたいと思って顔を出すや、営業担当のアンドレアはすぐに席を用意してくれました。オッチェッリさんはちょうど取材対応中! それでも歓待してくださったことに胸が熱くなりました。


中庭付きの一軒家を借りて世界中のVIPを招待


オッチェッリさんはちょうど取材対応中

チーズのディスプレイは見事です


ピエモンテのワインが揃っています

チーズとワイン、デザートもしっかり楽しんできました


営業担当のアンドレアと


いつも歓待してくれるオッチェッリさん。
今回も会えて良かった!

オッチェッリの輸出担当だったオンブレッタと、イタリアのチーズの旅のドライバー&通訳のカールハインツ・ベルトルドにも会えました。
懐かしい話で盛り上がります。

チーズで巡るロンバルディアの旅Vol.4

■シルテルってシッテル?

4日目(2023年9月15日)は、2015年9月15日にDOPに登録された山のチーズ「Silter」のアルペッジョ(夏季放牧)の見学です。イタリアDOPチーズをまとめて「イタリアチーズの故郷を訪ねて」を2015年2月に出版したときにはなかったのに!イタリアは知らないチーズが多いことを実感します。
Silter(シルテルまたはシルター)の指定生産地区はロンバルディア州ブレーシア県の山岳地帯にある自治体、ヴァッレ・カモニカとセビーノ・ブレシャーノです。Silter という名前はイタリア語で「Casera(カゼーラ)」を意味するケルト語が起源だと言われており、最も古い歴史的記録は17世紀後半に遡ります。乳を保存する方法としてつくられたチーズは地元住民にとって重要な栄養源。伝統に根ざし、代々受け継がれてきました。そして今日でも地元経済の重要な役割を果たしているというのです。
外観は前日訪ねたノストラーノと似ていて10~16kgの円盤型。生産者は34軒もありますが、スローフード協会のプレシディオ(Presidio)に登録されているのは3軒だけ。プレシディオは消滅の危機に瀕した食品を生産者の組織づくりや販路拡大の面からサポートするプロジェクトで、イタリア語で「砦」という意味があります。

私たちの訪問を快諾くださったジェシカさんは四駆で何度も往復して私たちをむかえてくださいました。牛たちの放牧風景と澄んだ空気が景色の気持ちいいこと。


小型バスはここまで
ジェシカさんは四駆で何度も迎えにきてくれました


雨が上がって太陽が顔をだしてくれました
アルペッジョの牛たちも気持ちよさそう

チーズ製造は早朝から始まっているはずですが、私たちの到着に合わせたかのように、銅鍋の乳がちょうど凝固してカードのカットが始まるところでした。ひげを生やしたおじいさんがカードを丁寧に均一にカットして攪拌したあと再び火にかけてゆっくり温度を上げて静置。


チーズを製造する貫禄あるおじさんは
二代目のステファノさん
ジェシカさんのお父さんです


カードを丁寧に攪拌して静置。頃合いをみて型入れが始まります
手前にある小さいチーズは山羊乳製の「ファトリ」

待っている間に外で深呼吸!搾乳した乳をバットに静置してある部屋は水が流れて厳かな雰囲気!
鍋の底にカードが沈んだ頃合いをみて、布でカードを集めて型入れです。銅鍋ひとつからたったふたつ。型に入れた後の重しは、なんと前日製造したシルテル!なんと合理的なのでしょう。製造が終わったころを見計らって、バター製造と続きます。バターの色の濃さと滑らかさは格別です。


搾乳した乳はバットにいれて。浮いたクリームでバターをつくります


バターチャーンはコンパクト


できたてのバターは濃い黄色。さらっとしておいしい


塩水づけされているシルテルとファトリ

ちょうど小腹が空いたころにジェシカさんが用意してくださったのは「シルテル」と山羊乳製の燻製チーズ「Fatuliファトリ」。シルテルの手前にあった小さなチーズの色は白く、塩水に一緒に入っていた小さなチーズも白かったことが、ちょっと気になっていましたが、聞きそびれていました。
「ファトリ」はジュニパーベリーで燻製にすることやカモシカ系の山羊、ビヨンダ山羊(Bionda dell’Adamello)でつくられることなど、新しい発見がありました。1995年には100頭まで減ったビヨンダ山羊も現在は4,500頭に増えているのだとか。 しっかりと燻製されていますが、品がよく濃厚でおいしいこと!
目的のシルテルはもちろん、ファトリもしっかりと購入して、時間さえ許されるなら、ここでゆっくりと過ごしたかったのですが、次の目的地へと向かいました。

ジュニパーベリーでじっくり時間をかけて燻製させた山羊乳製のファトリ


シルテルとファトリの試食を用意してくれたジェシカさん


ジェシカさんの妹も一緒に働いています
ステファノさんは二人の娘が協力してくれていてうれしそう


旅仲間たちと

ビヨンダ山羊たちは山の中
ケガをした一頭だけ残されていてラッキーでした


疲れ果てたのかな。ぐっすり

チーズで巡るロンバルディアの旅Vol.3

3日目(2023年9月14日)は自然農法と絶対菜食主義にこだわりを持つワイナリーのクワードラ・フランチャコルタ・クワードラ(Quadra Franciacorta Franciacorta)を訪問。Giovanniさんが私たちの到着を待っていてくださいました。ぶどう畑を見学したあとはカーヴの見学とテースティング。
フランチャコルタが誕生したのは1960年代。経済成長期でフランス料理ブームがあったころだと言います。70年代はイタリアワインの変革期。多くの起業家が参入し、栽培面積が拡大しました。Quadra社が設立されたのは2002年。畑は自然農法によるぶどう畑を目指し、畑も醸造所も科学的な添加物や動物性由来の物質を一切使っていません。ワイン通が揃ったメンバーの熱心なこと! 仕上げに心地いいテラス席でランチを楽しんでワイナリーを後にしました。

■ノストラーノ・ヴァルトロンピア(Nostrano Valtlompia)

次はノストラーノ・ヴァルトロンピアの熟成庫を目指します。日本ではもちろん、イタリアでも知られていないチーズ「ノストラーノ・ヴァルトロンピア」。ノストラーノは「我々の(俺んちの)」という意味です。
トロンピア渓谷で俺んちのチーズをつくっていた人たちは、それぞれのお家のレシピがあったと思います。しかし、そのレシピもきちんと残さないと将来がないと考えた生産者が集まって協議して、DOP(原産地保護呼称)に申請したのが2002年のこと。2012年に認証がおりたときはどんなに嬉しかったことでしょう。
そんなことを想いながら初めて訪ねたのは2014年9月です。ということはもう10年も前のことです。当時、標高700メートル、急斜面の牧草地が広がるトロンピア渓谷の小さな工房を訪れた時はまるでタイムスリップしたかのような印象でした。

トロンピア渓谷


工房を示す看板。Cascina Fulú 標高は705mとあります

ブラウンスイス牛が迎えてくれました

火にかけられた銅鍋は私たちの到着を待っていてくれました。銅鍋の前に立つのはマウロさん。ちょうど良い温度に達したら、火から離してサフランと凝乳酵素を加え、「ロテラ」と呼ぶヘーゼルナッツの棒でかき回して静置。この棒がスターターの役目、つまり乳酸発酵を促していると知り、驚いてしまいました。サフランはヴェネツィアに支配されていた頃は高級品とされ、チーズに入れることで高収入を得られたのだといいます。
凝固したかどうかを確かめるのは、木製のお皿のようなものを垂直に立ててみて、倒れないようならオーケー。やはりこの皿もカエデ製。こういった道具はほとんど昔か変わらないようでした。
カードを均一にカットしたら再び火にかけ、30分かけて48~50℃まで温度を上げると、火から離して静置します。カードが鍋底に沈む間、熟成庫を案内していただきました。


鍋の前に立つマウロさん


火にかけられた細長い銅鍋は北イタリアの特徴です

サフランを入れてヘーゼルナッツの棒でかきまわしてから静置

カードが凝固したかどうかはお皿を立てて入れ、倒れなければOKです


カードは丁寧にカット攪拌していきます

カードをカットしたら再び火にかけて48~50℃になったら火から離して静置


凝固する間に熟成庫を案内していただきました


熟成庫の外は薪が積み上げられています


工房から見える景色に癒されます


心配そうに見守るマウロさんのお父さん

いよいよ、鍋の底にカードを集めて、丁寧にひとつにまとめて引き出して型にいれる作業です。銅鍋はまだ熱いと思いますが、慎重にカードを集めてホエーを抜きながら平たい桶にいれたあと、すぐに木製の枠に入れます。
型から抜くのは、側面に文字がしっかりついてから。熟成庫に移し、表皮にマジックペンで1月1日から数えた数字を大きく書くことでいつ製造したかわかるようにしているのです。
DOPの規定の最低熟成期間は12ヵ月! おいしいのは1年半から2年ものだといいます。チーズの乾燥を防ぐために熟成中に表皮をヤスリで削り亜麻仁油を塗ってツヤを出していきます。このとき、マウロさんのような生産者はたった7軒と聞きました。それでもいつかは共同の熟成庫をつくりたいと話していたことを思い出します。

鍋の底にカードを集めて、ひとつにまとめて引き出して型にいれます

ホエーが抜けたら木枠の型にいれます

搾乳した乳を静置しておきます。上に浮いたクリームでバターを製造
濃厚なバターになりそう!

2014年に訪問した時、マウロさんは40歳でした

■共同熟成庫は元鉱山

2017年、新しく生まれたノストラーノ・ヴァルトロンピア組合は、ロンバルディア州から受け取った資金を元にパルマ大学食品医薬品学部の委託を受けて、トンネルを利用した熟成をスタートしたといいます。
案内くださったのはファースト・カバッリさん。鉱山なのでヘルメット(プラスティック製!)をかぶってください!とニコニコと嬉しそう。
鉱山の歴史は1892年に遡ります。グラスゴーに拠点を置く英国の会社によって発足したものの、1893年に銀の価格が暴落したため、採掘を中断。鉱山労働者など500人以上の労働者が職を失ったといいます。一方、鉱山に残されていたトンネル約200メートルを熟成庫にしようと考えたといいます。
10年前は7軒だった生産者はいまでは5軒。しかもそれぞれ、10~30頭の牛を飼う小さな酪農家です。1個のノストラーノを製造するために250リットルのミルクが必要ですから、毎日製造するには乳量が足りません。そのため、3~4回の搾乳分を混ぜて使用することが許可されています。それでも年間生産量はたった500個! 平均すると1軒で年間たった100個です!
トンネルで熟成させるかどうかは、任意だそうですが、全員ここに預けているそうです。
熟成中、10~15日おきに亜麻仁油で表皮を磨くことで表皮はピカピカに輝くようになるのです。見学後にいただいたノストラーノは余韻が長く、バランスがとれた深い味わいでした。


小さな公園の奥に鉱山のトンネルがありました


熟成庫の入り口


プラスティックのヘルメットをかぶって中に!


チーズが眠っているのはこの先のようです


亜麻仁油を塗ってピカピカに輝いています


案内してくれたカバッリさん


近くには小さな村。一軒だけカフェがありました

チーズで巡るロンバルディアの旅Vol.2

2日目(9月13日)はカザリゴーニ(Cas‘Arrigon もとアルゴーニ社)へ。案内は営業&広報担当のアデーレです。
実は、私はそれまでタレッジョはサッシナ渓谷の洞窟熟成が最高だと思っていました。ところが1997年9月、第1回目のブラ祭りで、タレッジョ渓谷で熟成したタレッジョがあることを知り衝撃。さっそくそのタレッジョと対面しようと訪れたのが1998年。それ以来アリゴ―ニ社とは四半世紀の長い付き合いです。

■カザリゴーニのチーズ工房「サンタントニオ・ヴァル・タレッジョ (St. Antonio Val Taleggio)」へ

工房ができてからちょうど30年。この日、私たちを迎えてくださったのはアルトゥーロさんです。以前の訪問時から比べてショップは広くなり、カフェが併設されていました。 濃厚なヨーグルトとカフェをいただいたあとはゴルゴンゾーラの原型と言われるストラッキトゥン(Strachitunt)の見学です。ゴルゴンゾーラはもともとストラッキーノ・ディ・ゴルゴンゾーラという名前だということは知られています。現社長のアルバーロの努力のおかげで2014年にDOPに指定されました。無骨でカビが均等にはいっておらず、イタリアでも知らない人が多いのは仕方ないかもしれません。
工房ではカードのカッティングをしているところでした。カットを終えて攪拌をしてヘーゼルナッツの大きさになったら、となりのバットに入れてホエーをあらかた抜いたところで、いよいよ型詰め作業です。
型に出来立てのカードを入れたら、昨夜の冷たいカードを適当にとって入れて、その上に温かいカードをいれる作業を繰り返します。カードが冷めないように、スピーディに作業することが重要です。そのため、手袋をしていては感覚がつかめないから素手で行っているとのこと。あっという間に型入れが終わり30~45分後には反転、翌日には商標を入れて、加塩をこすりつけて6日間寝かしていきます。
アルトゥーロさんはお金をもらって筋トレしていると楽しそうに笑ってプロセスを丁寧に話してくれました。チーズ通たちのために珍しいストラッキトゥンの製造を見せてくれたことに感謝しなればなりません。
楽しい見学後はお買い物タイムです。店頭は無殺菌乳製タレッジョなど気になるチーズが揃っていました。


新しくカフェスペースができました。
カフェとヨーグルトを食べながら景色を堪能


販売コーナーは夏のアルペッジョのタレッジョも並んでいます。


凝固したカードをスパンナローラ(大きな銅のお椀)で大きめのカードにカットしたあと10分ほど休ませてから


ワイヤーで大きめにカットして5分休ませます。


この状態で試食させていただきました。
おいしい!

カードの状態を確かめてから型入れされます。
柔らかかったカードの上に膜ができたような状態になります。

カードをバットに移す作業はスピードが勝負です。

温かいカードに前日の冷たいカード一握りを2回。
その割合は人それぞれ。ひとつずつ違うチーズになるんだよ、とアルトゥーロさん。


型入れが終了!お疲れ様でした。

■チーズ農家 LOCATELLI GUGLIELMO&COに立ち寄って

今もアルペッジョでチーズを製造するロカテリ一家。80頭のブルーナ・アルピーナ牛はまだ山の中。もう10年以上経ちますが、グリエルモ・ロカテリさんのアルペッジョを訪ねたことがありましたが、あの日のことを思い出して懐かしくなりました。
3代目のマルコさんに牛舎を案内していただき、牛たちと写真撮影!牛舎に残されているのは未経産牛ですが、大事にされていることがわかります。牛たちにたっぷり癒されてカザリゴーニ社に向かいました。

小雨が降りだしました。牛たちは雨やどり。


牛舎の牛たちは私たちに興味津々


アデーレは話をしているみたい。

自動給餌機が優れていてびっくり。


ロカテリ家の熟成室に並ぶタレッジョ

■カザリゴーニ(Cas‘Arrigon)

私たちの訪問を待っていてくれたのは、社長のアルバーロと、工房で仕事をしている妻のティナでした。
オフィスはモダンでセンスの良さは驚きます。午前中の作業が終わらないうちに作業室を見学です。
カザリゴーニのタレッジョの外皮はオレンジ色。しっとりと濡れて、中は柔らかくむっちり。塩味が控えめで、ほどよい酸味があり余韻が長く多くのファンがいます。おいしさの秘密は徹底的に磨き作業にこだわり、手間暇をかけているからだと思います。
二人が一組になり、チーズをお湯で丁寧に洗うというよりブラシでリズミカルに擦っていきます。かつては素手で行っていた作業は、EUの衛生管理でビニール手袋が必要になりました。ロットごとに手袋を変えるため、ごみ箱にはビニール手袋が山積みに捨てられていました。美しく磨かれたチーズは布を敷いた木箱に8個ずつ入れて熟成庫に運ばれます。熟成庫の湿度は80~85%ですが、微調整は布の役目です。取り換えは1週間に1度といいますから、洗濯も大仕事です。
ちょうどお腹が空いたところで、ランチタイムとなりました。


カザリゴーニ社


モダンなオフィス


タレッジョを入れていた箱はパンフレットが入っています。


「タレッジョをブラッシング(擦る)作業はペアでリズミカルに!(動画)」お湯で丁寧に擦っていきます。


仕上がったチーズは丁寧にチェックして包装されます。作業しているのはティナの弟マルコ

■チーズたっぷりランチ

ランチはパンとチーズとプロシュート&サラミがたっぷり。DOPを持つクワルティローロ・ロンバルド、サルヴァ・クレマスコ、ストラッキトゥン。そして昨年開催されたワールドチーズアワードでスーパーゴールドを受賞したロッコロやトリュフ入りチーズなど、食べ放題!ワインと合わせて話も弾みます。


チーズ好きのメンバーばかり。
ティナもアルバーロも大喜びです


チーズ持ち込みのランチ


左から社長のアルバーロ、妻のティナ、娘のアデーレ

■カサ・デル・ベルガモ

食後は空き家になったティナのおじさんの家を改築した「カサ・デル・ベルガモ」を見学。昔の道具が置かれた部屋、熟成庫もあり、モダンなキッチンがあり、センスの良さに唸ってしまいました。


美しい景色に癒されます。


カサ・デ・ベルガモ


昔のチーズ製造の様子


熟成庫にあるのはホンモノのチーズ
冷蔵設備のない条件で熟成状態をチェックしています。


美しい自然のカビが生えていることを確認!

チーズで巡るロンバルディアの旅Vol.1

コロナで海外が遠ざかっていました。1997年に北イタリアのブラの街でスタートしたブラ祭りのBRA CHEESE。隔年開催されていて、1999年と2021年の2回こそいけなかったものの、11回も行ったことにいまさらながら驚いています。
ここで、イタリアのチーズはもちろん、ほんとうにいろいろな出会いがありました。そんなブラ祭りに合わせて、ツアーを開催。チーズ好きな人たちとの旅は楽しく、思い出がいっぱいです。

今年2023年9月、4年ぶりのイタリアの旅は、ブラ祭りに入る前にちょっと寄り道。
4年前(2019年10月)、ベルガモで開催されたWORLD CHEESE AWARDS(以下WCA)で出会ったチーズ工房「Caseificio La vialatteria」の訪問からスタートです。

年開催されているWCAはアルティザンチーズを多くの人に知って欲しいと1988年に始まりました。その後、規模はどんどん拡大して世界中のチーズ関係者が集結する大きなイベントになりました。2019年のスポンサーは、イタリアはロンバルディア州のベルガモ市でした。ベルガモ周辺にはチーズ会社が多く、展示会場で出会ったのが Vialatteriaです。今回は念願の訪問になりました。
ミラノから近いため、予定より少し早めの到着でしたが、ロレンツォは私たちの訪問を心待ちにしていてくれました。美しくカットされたフルーツは、見学前のおもてなし。でも、積み上げられた私たちの名前入りの箱を見ると、何が入っているか気になってしまいます。
と、そのBOXをあけてみると、なんと中には工房に入るためのビニールコートと帽子と靴カバーが入っているではありませんか。マーケティングを担当するロレンツォのアイディアはさすがにあっぱれです。
チーズ製造はロレンツォのご両親ロベルトとヴァレンティナが担当。息子のロレンツォは営業とマーケティング担当です。
フルーツをいただきながら、家族の歴史やいま挑戦中のことなどお話を伺いました。アイスクリームの製造を1989年に始めたというロレンツォのご両親、ロベルトとヴァレンティナは事業が軌道にのったところで、改めて2002年にチーズメーカーとしてスタートしたそうです。山羊乳製チーズが好きだからとフランスで基本的な製法を学んだものの、枠にはまるのが苦手という二人は2008年からオリジナルの山羊乳製チーズを発表していきます。
ミルクは近隣といっても10Kmほど 離れた2軒の農家に取りにいきます。この時期は1年のうちでもっとも少ない時期とはいえ仕込みは200リットル。季節感があるチーズであるうえに、リクエストに応えてつくるチーズもあるため種類は多く、その数150種類以上だと聞き、驚いてしまいました。

この日はビール入りの山羊乳チーズ「エレティコ」の製造を見学させていただきました。
私たちの到着を待って、乳に少し濁った地ビールを入れて火にかけ、34℃になったところで子山羊のレンネットを添加します。凝固を待つ間は、チーズの試食タイム!

ロレンツォさんが次々とカットして持ってきてくれるいろいろなチーズを、メモしては試食、と忙しいこと!チーズを型に流して作業が終了するまでしっかりと見せていただけたことに感動でした。
そもそもチーズ製造が好きで始めたとはいえ、休憩を挟んであと2種類のチーズを製造するというのですから好きこそ上手なれ、ですね。


カードカット


カードの型入れ


カードの反転

この日のサプライズは、ロレンツォが用意してくれた船上のランチタイム。ここでもチーズを数種類試食したはずなのに、美しい景色に癒されてすっかり夢心地。気がつくとメモもない状態でした!

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